IRTジャパン

プロフィール

箱石 靖

国際ラケットボール競技団体IRTジャパン代表

季節、天候に関係なく年齢を重ねても室内で仲間と汗を流せるラケットボール。真剣に楽しめるラケットボールの魅力を伝える。
国際ラケットボール競技団体IRTジャパン
http://irt-jp.com

国際ラケットボール競技団体IRTジャパン 代表 箱石 靖

ラケットボール(紹介映像)

箱石代表 ラケットボールで世のため人のために貢献したい


国際ラケットボール競技団体
IRT JAPAN 代表取締役
箱石 靖

ラケットボールとは

ストレスまず、ラケットボールという競技について説明したいと思います。

ラケットボールは1947年にアメリカのYMCAで考案され、日本では1971年に東京と神戸のYMCAにコートが作られました。

ラケットボールは、簡単に言えばテニスの壁打ちのようなスポーツです。
前後、上下、左右をコンクリートもしくは強化ガラスに囲まれたコートの中で行ない、シングルスは2人、ダブルスでは1チーム2人ずつの4人がボールを打ち合います。
ボールが床にツーバウンドする前に(つまりノーバウンドかワンバウンドで)打ち、打ったボールは床にバウンドさせずに前の壁に当てなければなりません。(前の壁に当てるために、左右、後ろ、天井の壁を利用してもかまいません)
打ち返せなければラリーは終了し、サーブ権を持ってる方がラリーに勝った場合に得点が入ります。(負けるとサーブ権が相手に移ります)
ゲームは、アマチュアでは3ゲームマッチ(15点、15点、11点先取)で行なわれます。

日本の競技レベルは、男子では世界のベスト10に入るくらいの実力です。女子は、アメリカ、メキシコ、カナダに次ぐ4位の座を韓国と争っています。

スカッシュとの違い

ラケットボールはスカッシュとよく似ていますが、いくつか異なる点があります。
混同している方も多いと思いますので、少し説明しましょう。

まず、ラケットボールの方がひとまわり大きいコートを使用します。スカッシュのコートが縦9.8m×横6.4m×高さ5.6m以上であるのに対し、ラケットボールは縦12.2m×横6.1m×高さ6.1mです。

使用する道具も少し違います。ラケットは、スカッシュではテニスラケットを細くしたような形のものを使いますが、ラケットボールは右の写真のように短いものを使います。
ボールは、ラケットボールの方が直径約6㎝と大きく(スカッシュのボールの約1.5倍)、よく弾みます。
また、ラケットボールでは目を保護するために、右の写真のようなアイガードを着用することが義務付けられています。

ルールも少し異なります。
スカッシュではコートに有効範囲があり、範囲外(四方の壁の赤いラインから上と正面の壁の赤いラインの下)に当たるとアウトオブプレーとなりますが、ラケットボールでは天井も含めてコート内に範囲の制限がありません。

また、スカッシュはイギリスが発祥ですが、ラケットボールの発祥は前述のようにアメリカです。(ちなみにスカッシュは、19世紀初頭にロンドンの監獄で囚人がボールを壁に当てるゲームをしたのが始まりといわれています)

ラケットボールとの出会い、そしてIRT JAPAN設立

私がラケットボールと出会ったのは、19歳の時です。アメリカのニューヨークに留学していた際、体育の授業として選択したのが最初でした。ただ、そのときは1年間授業でやっただけで終わってしまいました。
転機は、それから7年後に訪れました。
ラケットボールのプロの試合を観る機会があったのですが、その時の衝撃は今でも忘れられません。そこで繰りひろげられた試合は自分がやっていたのとはまったく違う、とてもエキサイティングでアクロバティックなもので、「これはすごいスポーツだ」と思いました。
その後日本に帰国してからラケットボールができるクラブを探し、千葉県柏市のスポーツクラブでラケットボールを始めるようになりました。

ラケットボールは、アメリカではプロスポーツとして運営されているにもかかわらず、当時の日本ではまったくのアマチュアのみで競技人口が少なく、コート自体も少ない状況でした。
ですが、非常におもしろいスポーツなので、「何かいい方法はないものか」と試行錯誤しました。
日本にも既に1980年に設立された日本ラケットボール協会(JARA)がありましたが、JARAはアマチュアを主体とした団体です。
日本でもプロで戦えるシステム、アメリカのプロツアーに参戦することを目標にしたシステムを作りたい。ハイレベルのパフォーマンスを見せられるようなイベントを開催したい。
低迷しているラケットボールをなんとか日本に定着させ、ラケットボールをすることで世のため、人のために貢献したい。
そのように考え、2001年11月にIRT JAPANを設立しました。

ラケットボールの現状と課題

現在、日本でのラケットボール競技人口は約2,000名くらいです。
ラケットボールができるコートは約80面しかなく、そのほとんどが関東や大阪といった都市圏に集中しています。
実は、10数年前までは160面ほどのコートがありました。
スカッシュのコートは今でも200面以上あるのに対し、ラケットボールのコートがここまで減少してしまったのは、スポーツクラブの中にラケットボールから撤退するところが多かったことが原因です。
前述したように、ラケットボールのコートはスカッシュのコートより大きく、高さも高い。
スポーツクラブでコートを保有するには、2フロア分のスペースが必要です。
しかもそこを同時に使えるのは、わずか数名のお客さまに限られてしまいます。
同じスペースをエアロビクスなどのプログラムで使えば、20~30名×2フロア分の人数が利用できるわけです。つまりスポーツクラブにとって、ラケットボールコートはコストパフォーマンスが著しく低いため、コートが減少し、それにともなって指導できるインストラクターも減り、競技人口も減ってしまったのです。

この現状を打破するために、IRTではジュニア層の育成に取り組んでいます。
ですが、そのための課題もあります。
ひとつは、「スポーツクラブの入会規約の壁」です。コートを保有しているのは主にスポーツクラブですが、その入会規約に年齢制限を設けているところがほとんどで、高校生以下の選手が入会できないケースが多いのです。
もうひとつは、「空白の6年間」です。たとえジュニアからラケットボールを始めたとしても、中学や高校の部活動にラケットボールが存在しないため、どうしても他のスポーツに流れていってしまいます。そのため一番スポーツに打ち込める時期であり、競技力が養われる6年間が、空白になってしまうのです。
これらの課題をクリアするためには、まずスポーツクラブの協力を得るなどして、時間限定でもいいからジュニア層が使用できるようにすること。
また、現在は少数のクラブでしかジュニア育成ができておらず、試合もそのクラブ内に限られているので、全国大会を開催できる規模まで増やすこと。
そしてなにより、ジュニア育成のための優秀な指導者を増やすことが必要だと考えています。

ラケットボールの魅力

先ほど挙げた理由でジュニア層からこの競技を始める人はまだ少なく、現状では大学や専門学校から始めるという人がほとんどです。
ですが、私はもっと幅広い年齢の方にラケットボールに親しんで欲しいと思っています。

ラケットボールは老若男女を問わず、どんな方でも始められるスポーツです。
天候に左右されず、短時間で心地よい汗をかくことができるのが魅力です。
ミスショットをしても、コートが壁に囲まれていてボールが跳ね返ってくるため、球拾いに走り回らなくて大丈夫です。(実は私が体育の授業でラケットボールを選んだ理由は、これでした)

また、体力だけでなく「技」で勝負できるスポーツです。
スカッシュはボールがあまり弾まないため、自分の足でボールを追わなければならず、持久力の戦いになってしまいがちです。ですがラケットボールはボールが弾む分、うまくコントロールできればあまり自分が動かなくてもすむのです。
そのため、戦略やテクニックを駆使した「ベテランの技」が試合を制すことが多く見られます。

そして本気になれば、年齢に関係なくタイトルを目指してやれるスポーツでもあります。
年齢と競技レベルによって区分けされたクラスがあるので、アメリカでは80歳の方でもそのクラスでの全米チャンピオンを争っています。ですから、例えば始めて3ヶ月の方でもアメリカへ行って大会に出るといったチャレンジができるのです。
始める年齢が遅くても、トッププレーヤーになれる(かもしれない)。
それも魅力のひとつと言えるでしょう。

「ラケットボールを始めたい」と思ったら……

これをお読みいただいて、ラケットボールに興味を持たれた方は、ぜひ一度IRT JAPANまでお問い合わせください。
お近くのラケットボールができる場所をご案内いたします。
クラブによっては体験レッスンができるところもありますが、コートを貸してくれるだけのところもあります。
そんな時はIRT JAPANに60名いるスタッフのうち、日程の合う者が無料体験レッスンをすることも可能です。
(コート代や道具のレンタル代などは、お客さまのご負担でお願いします)
私もスタッフも「ラケットボールを普及させたい」という強い思いで、活動しております。
ぜひ、ラケットボールを楽しんでください!

※IRT JAPANのホームページは、こちら http://irt-jp.com/

※お問い合わせは、こちらから  http://irt-jp.com/contact_us/   

清水選手 ラケットボールトッププレーヤーの素顔 ①

IRTプロランキング14位
清水弘史選手
<プロフィール>
1968年8月20日生まれ/東京都出身/IRTプロフェッショナルプレーヤー
國學院久我山高~日本体育大学卒
IRT JAPAN所属  IRTプロランキング14位(2009年4月現在)

日本ラケットボール界No.1のプロラケットボールプレーヤー。
高校時代は野球部に所属。日本体育大進学後、アルバイト先のスポーツクラブでラケットボールに出会う。その後、野球で培われた身体能力、精神力を武器に著しい成長を遂げ、1998、2000~2004、2006~2009年 全日本ダブルス優勝、2000~2003年 全日本シングルス優勝と華々しい戦績を残している。
国内では向かうところ敵なしで、2002年より活動の拠点を本場アメリカに移す。ラケットボールの祭典であるUS OPENでは、2002年のオープンクラス3位を皮切りに、2006、07年には日本人としては前人未到の2年連続プロ・ベスト16入りを果たす。また、2008年の世界大会では、アメリカに次ぐ強豪国カナダを破ってダブルスで3位に入賞し、日本に銅メダルをもたらした。

すべては「負け」から始まった

――清水選手は、もともと野球をされていたそうですね。

はい。小学校3年から始めて、大学1年までやっていました。
1学年上の先輩がセンバツで甲子園に出場したのですが、その代の捕手の秋元さん*のプレーを見て、「ぜんぜんレベルが違う。自分はそこまでの選手じゃない」と悟りました。それでも高校では「なんとかベンチ入りを」と努力して、セカンドのレギュラーになりました。
大学でも野球部には入りましたが、卒業後の進路を考えたときに「野球ではないな」と思い、1年間で退部してしまいました。野球は「高校時代に燃え尽きた」という感じですね。
(*秋元宏作さん=國學院久我山~日大~西武ライオンズ~横浜ベイスターズ 現・埼玉西武ライオンズコーチ)

――ラケットボールとの出会いは、野球を辞めてからですか?

将来はスポーツクラブで働きたいと思い、大学3年のときにインストラクターのアルバイトを始めたんです。その研修でラケットボールをしたのが初めてですね。
その後アルバイト仲間と遊び半分でやっていくうちに、その魅力にとりつかれてしまいました。

――どんなところが魅力だったんですか?

野球はやめてしまいましたが、「アスリートでありたい」「体を動かしたい」という気持ちはあったんですね。その点、ラケットボールには思い切りボールが打てる爽快感がありました。

――最初は遊び半分だったのに、ここまでのレベルになったわけですね。

そうですね(笑)
ラケットボールを初めて2ヵ月後くらいに、学生オープンの大会にアルバイト先の推薦で出場したんです。
正直に言うと、「他大学の学生は所詮サークルのレベルだ」となめてかかっていたんです。ところが、結果は1つか2つ勝った後、あっさり負けてしまった。
とても悔しかったですね。それで、もっと強くなろうと思いました。
その繰り返しで、ここまで来たようなものです。
初めは本当に遊びで、「30歳くらいまでやれればいいな」くらいにしか思ってなかったんですが、今ではインストラクターをしながらアメリカのツアーに参戦し、日本とアメリカを行ったり来たりの生活をしているほどです。

――もし最初の大会でもっと勝っていたら、「こんなもんか」と遊びで終わっていたかもしれませんね。

本当にそうですね。最初の負けがよかったのかもしれません。






プレー中の清水選手。
2008年のUS OPENでは、日頃の爽やかなプレースタイルが評価され、
日本人として初めて「フェアプレー賞」に輝いた。
日本ラケットボール歴代最強のプレーヤーである。

強さの秘密

――ラケットボールをやっていて、今までで一番うれしかった瞬間を教えてください。

2008年の世界選手権のダブルスで初めて3位*になって、メダルを獲ったときですね。
私はあまり感情を表に出す方ではないのですが、あの時は人目をはばからず、泣いてしまいました。
それまではずっと「世界との間には壁がある」と感じていたのですが、「少し近づいたな」と思いましたね。
(*河野通宗選手との絶妙なコンビでカナダを破り、見事3位に入賞した)

――清水選手は、相手選手の動きをどれくらい先まで読んでいるのですか?

実は、私の場合はそれを意識しないようにしているんです。
小細工ができないタイプですからね(笑)
ボールに集中して、ラリーの中で穴を見つけて、そこでのベストショットを打つことを心がけているんですよ。

――ちょっと意外なお答えでした。では、清水さんのように強くなるにはどうすればいいですか?

まず、楽しむことですね。そして情熱的にやることです。楽しむためには情熱的でなければなりませんよね。
楽しく情熱的にやれば、技術は後からついてきます。
それと、ひとつひとつ目標を設定して、それに向かって無理なく、でも全力で取り組むことですね。

――最後に、ラケットボールをやったことがない人へメッセージをお願いします。

私はいろんな現場でラケットボールを教えていますが、コートの外から見てくださっている人がけっこう多いんですよ。
でもラケットボールは見るスポーツではなく、やるスポーツです。
10分もやれば、飽きずにいい運動になります。スポーツクラブにはエアロビクスやプールなどもありますが、それらと同じように、ぜひやってみて欲しいですね。
道具も貸し出したりしていますから、「始めるぞ」と気構えるのではなく、まずは味見してもらえればと思います(笑)。
見た目はハードに見えますが、やってみれば楽しめますから、まずはコートに入ってきてください!

<取材/構成=スポーツライター 佐伯 要>

佐藤選手 ラケットボールトッププレーヤーの素顔 ②

WPRO世界プロランキング22位
佐藤摩以子選手
<プロフィール>
1968年8月30日生まれ/東京都出身
YMCA社会体育専門学校卒
IRT JAPAN所属  

専門学校時代に授業の一環としてラケットボールと出会う。その後、卒業後に入社したスポーツクラブがラケットボールの名門だったこともあり、インストラクターとして活動を開始した。
2004、05年には全日本選手権を制覇。2007年にはジャパン国際でWPRO世界ランキング9位のプロ選手を倒す快挙を成し遂げ、2008年には世界選手権大会でダブルス世界6位と見事入賞を果たした。
2009年からは活躍の場を本場アメリカに求め、WPROの試合に参戦。同年4月にはEKTELON World Championshipのオープンクラスで準優勝を果たすなど、着実な成長を見せている。

「負けず嫌い」で強くなった

――佐藤選手がラケットボールを始めたきっかけを教えてください。

実は、専門学校の授業でやったのが最初なんですよ。中学、高校とずっとバレーボールをやっていたので、それまではラケットも握ったことがなかったんです。
授業で何回かやったときに、先生が「佐藤さんはラケットボールをやれそうだね」と言ってくださって、ラケットボールのインストラクターの求人を出していたスポーツクラブを就職先として薦めてくださったんです。本格的に始めたのは、そこに就職してからですね。

――そういうきっかけで始めて、ここまで来ちゃったんですね(笑)

 

そうですね(笑)
「仕事として」というところから始めましたが、負けず嫌いだったんでしょうね。
初めはスポーツクラブのお客さまにも勝てなかったんですよ。それが1年くらいしてようやく勝てるようになって、今度は試合に出るようになった。
試合に出たら出たで負けて帰ってくるんですが、そうすると「次はあの人に勝ちたい」という気持ちになりました。
そうして全国大会でベスト8、準決勝、決勝と勝ち上がれるようになると、今度は「世界選手権に行きたい」と。
始めてから6年目に全日本シングルス(2005年)で初めて優勝したのですが、そこまでだんだん階段を上がっていったという感じですね。

――強くなるために、どんな練習をされたのですか?

世界選手権を意識するようになってから、練習に取り組む意識が変わりました。
「もう少しつらいところまで頑張ろう」という気持ちで、自分の限界が前へ前へと進んでいったんです。営業時間前に朝練をするようにもなりましたね。
練習では一人打ちをすることが多いんですが、その際は試合を仮想しながらやっています。相手のいる場所を想定して「どこに打とう」とか、どこの場所からでも「あるポイントへ返すように打とう」という感じですね。
(正面の壁の)低いところに打てれば決まることが多いので、前からでも後ろからでも、低いところを狙って真っ直ぐ打てるように意識してやっています。

――ラケットボールをやっていて、今までで一番うれしかった瞬間を教えてください。

2006年に初めて世界選手権に出場したのですが、そこでメキシコに勝ち、団体で3位になったときですね。
団体戦はシングルス2試合とダブルス1試合で戦うのですが、私が最初にシングルスで戦いました。
私にとっては初めての世界選手権だったので、最初の試合で勝ったらどうとか負けたらどうということが、よくわかってなかったんですね(笑)。だから緊張もなく、タイブレークで勝つことができました。
そして次のダブルスもタイブレークで勝ったのですが、その試合は自分が出ていないのにもかかわらず「こんなにうれしいことはない!」と思えたんです。人の勝利が自分のことのようにうれしかったですね。いつもは自分の勝ち負けだけですが、チームとしての勝ちがこんなにうれしいものなのかと気付いた瞬間でした。

――その勝利で、何か自分の中で変わったことはありましたか?

その時から、もっと世界に目が向くようになりました。
次(2008年)の世界選手権にもダブルスで出場しましたが、今度は「もっと世界の人たちと試合をしたい」と思うようになり、アメリカのプロツアーへの参戦を決意しました。
そのとき勤めていたスポーツクラブではツアーに参戦するための休みが確保できなかったので、退職して、2008年からアメリカでプロツアーに参戦するようになりました。
今は加圧トレーニングのインストラクターをしながら、仕事や国内の大会への参加スケジュールを調整しつつ、年に3~4大会に参戦しています。


プレー中の佐藤摩子選手。
華奢な身体からは想像がつかない激しい動きと、
長いリーチをフルに生かしてコート狭しとボールを
拾う姿は、観る者を魅了する。
女性ラケットボ-ラ-の憧れの的。

日本人でも世界で通用することを証明したい

――プロというと、どんな収入があるのですか?

大会によって異なりますが、ツアーでは1回戦に勝つと150~160ドルくらいの賞金がでます。でも、日本から行くと1回戦は勝てても、2回戦はどうか……というレベルです。
アメリカのトップレベルには賞金だけでやっていける人もいるようですが、ほとんどの人は別の仕事をしながらツアーに参加しているのが現状です。
メーカーからラケットやウエアなどの支給を受けている選手はいますが、契約金までというケースはないと思います。アメリカのトップ選手になると、遠征費くらいはメーカーから負担してもらっているようですけど。

――お金のためではない、ということですね。

そうですね。「世界に挑戦したい」という気持ちだけです。
日本人でも世界に通用するということを証明したいですね。
それと、向こうに行くとたくさん知り合いもできます。そのつながりも魅力ですね。
日本人が行くと、珍しいからか、よく声を掛けてもらえるんですよ。
そうやって友達になって、メールをしたり、ホテルの部屋をシェアしたりします。
ラケットボールでは、試合の始めと終わりに必ず相手選手と握手するんです。
言葉が通じなくても、仲間になれますよ。

――ラケットボールを通した国際交流ですね。ところで、ラケットボールで世界へ挑戦するレベルまで成長するためには、何が一番大事ですか?

私は、練習をイヤだと思ったことがありません。
負けたら悔しい。だから勝ちたい。そのために練習します。
目標がひとつひとつクリアできるようになっていく。でも、まだまだ先がある。「もう一歩先へ」という気持ちがあるから、成長できるんだと思います。
世界を見たからこそ、そう思えるようになったのかもしれませんね。

――ラケットボールをやっている人たちへのメッセージをお願いします。

チャンスがあれば、1度でも世界の舞台を経験して欲しいですね。
プロツアーに参戦するのは時間の面や費用の面などで難しいと思いますが、1度世界へ行くだけでも考え方が変わります。
競技以外の部分でも、生活や文化などで吸収すべきことも多く、世界が広がると思います。

――では、ラケットボールをやったことがない人に向けてメッセージをお願いします。

アメリカでは、ラケットボールは5~6歳からラケットを握り、70~80歳になってもコートに入って汗をかくような生涯スポーツとして親しまれています。
激しいばかりではなく、長く続けられるスポーツですから、ぜひ挑戦してください!

<取材/構成=スポーツライター 佐伯 要> 

  

廣瀬選手ラケットボールトッププレーヤーの素顔 ③

IRTジャパン ラケットボールインストラクター

廣瀬尚昭選手

<プロフィール>
1982年4月25日生まれ/東京都出身
IRT JAPAN所属  

<主な成績>
2007年 全日本シングルス選手権 優勝
2006年、2009年 ジャパンオープン 優勝
2007年、2009年 西日本シングルス選手権 優勝 
2008年 世界選手権 ベスト16
2009年 ワールドゲームズ ベスト16
2010年 世界選手権 ベスト16

負けた悔しさで、ここまできた

――廣瀬選手がラケットボールを始めたきっかけを教えてください。

19歳の時にスポーツクラブに通い始めたのですが、そこにたまたまラケットボールのコートがあったので、体力作りのひとつとしてやりはじめたのがきっかけです。

――体力作りで始めた廣瀬選手が、どうして競技として取り組むようになったのですか?

そこでクラブの人に負けて、すごく悔しかったんですね。
どうしても勝ちたくて、それで試合にも出るようになったのですが、それでもなかなか勝てなくて……。その「悔しい」が続いて、今までずっとやっています。

――勝ち始めた時、自分の中で何か変化があったのでしょうか?

昔は力任せにやっていました。勝ちたくてしょうがなくて、どうしてもそれがよくない結果につながっていたんです。うまくいかなくてイライラして、気持ちが空回りしていましたね。
ですが、戦略を考えたり、技術やメンタルを向上させたりするようになってから、勝てるようになりました。

――具体的には、どう進化したのですか?

技術的には、ショットの精度を上げるために、スピードを落としてパワーよりもコントロール重視に変えました。
メンタル面では、勝ち急がず、負けていても「絶対に勝てる」と信じて冷静にプレーするようになりましたね。
始めてから3~4年かかってやっと勝てるようになって、5年目でジャパンオープンで優勝することができました。その時は本当にうれしかったですね。

――「体力作り」で始めて5年で日本一。順風満帆のようですが、挫折はなかったのでしょうか?

プロツアーに参戦するようになって、壁にぶつかりました。
世界へ出ると、日本では考えられないスピードでボールを打ってくる選手がたくさんいるんです。スピードに押されて、自分の力を発揮できずに負けてしまう。
日本でプレーしている限り、そのスピードで練習できる相手はいません。
ですから、アメリカへ武者修行に行っています。仕事(ラケットボールのインストラクター)をしながらですので、年に2~3回くらいですが……。

――インストラクターとして働いて得たお金で、アメリカへ武者修行。始めた時、そこまでになると想像していましたか?

いいえ、ここまでハマるとは思っていませんでした(笑)
20歳の時、ラケットボールを始めてすぐに出場した大会で特別賞をいただいたんですよ。
それで、大会スポンサーだった株式会社ニコンさんにUSオープンへ連れて行ってもらったんですが、そこでプロの選手を相手にして、やっぱり勝てなかった。
その時、「上には上がいる。いつかはこのレベルでやってみたい」と思いました。
あの経験がなかったら、今の自分はないかもしれません。

――うまくなるためには、何が大事だと思いますか?

基礎練習ですね。まずは、ボールを真っ直ぐ狙ったところに打てるようにすることです。
あとは体力トレーニングです。トップ選手になるには、その選手と同じか、それ以上のトレーニングが必要だと思います。
そして、高い目標を持つことです。例えば自分よりうまい選手を目標にして、その選手を超えるように毎日努力することが大切ですね。

――廣瀬選手はどれくらい練習に時間をかけているのですか?

僕は今、週に6日、コートでボールを打つ練習を2時間と、1~2時間の体力トレーニングをやっています。仕事以外は、すべて練習です。どっぷりハマってますね(笑)。
でも、毎日が充実していますよ。

――では最後に、ラケットボールをやったことがない人へメッセージをお願いします。

ラケットボールは、やってみるとものすごく楽しいスポーツですので、是非やってください。ちょっとハードではありますが、天候に左右されずに短時間でいい汗がかけます。
僕はインストラクターとして教えている立場なので、いろんな人にラケットボールの魅力を体験していただいて、その楽しさを伝えられればと思っています!

<取材/構成=スポーツライター 佐伯 要> 

  

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