治療家応援団長
プロフィール
田尻 賢
株式会社ファーストサービス
代表取締役
柔整師、鍼灸師、マッサージ師に特化した業界初の人材紹介会社として、業界全体をリードしつづけ、それぞれの治療院の橋渡し役としても事業展開する。
http://www.firstservice.co.jp/
田尻 賢 株式会社ファーストサービス 代表取締役
第一回治療家甲子園開会宣言
第1回治療家甲子園ダイジェスト(ロング版)
【取材】スポーツ業界を支える治療家たちの熱い思いを伝えたい

柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師など治療家と言われる職業がスポーツ界を支えている。「治療家業界をもっと良くしたい」「治療家たちの熱い思いをもっと大勢の人に知ってもらいたい」そんな思いで自ら治療家応援団長を名乗り、治療家甲子園をはじめとした資格や派閥を超えたイベント・組織づくりに邁進する、株式会社ファーストサービス代表取締役、田尻賢さんに治療業界に出会うまでのプロセスと現在の活動についてお話をうかがった。
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株式会社ファーストサービス
代表取締役
田尻賢
<プロフィール>
株式会社ファーストサービス 代表取締役
一般社団法人 治療家甲子園 理事長
柔整師、鍼灸師、マッサージ師に特化した業界初の人材紹介会社として、業界全体をリードしつづけ、それぞれの治療院の橋渡し役としても事業展開する。
私が治療家業界と出会うまで
――まずは田尻さんの学生時代について教えてください
私の通っていたのは神奈川の県立高校で部活はサッカー部でした。サッカーは幼稚園からやっていて得意だったので熱心に練習したのですが、勉強はまったく身が入らなくて(笑)。部活動以外は雀荘に通いつめの日々でした。9割の生徒が大学進学するような学校でしたので進路指導にも熱心な先生が大勢いたんですけど、私は周囲の言うことには耳を貸さなかったんです。卒業後は通いつめていた雀荘に就職しました。
――最初の就職が雀荘ということですが、そこで学んだことは
私が就職した雀荘のオーナーがすごい人でした。麻雀の裏プロとして20年間無敗を誇り「雀鬼」と呼ばれていた人で、現在は作家としても活躍されている桜井章一さんっていう方なんですけど。やっぱり勝負の世界で生きてきた人だけあって、豪快でかっこいいんですよ。なんていうか“男の生き様”っていううんですかね(笑)、そういうものを学びました。そこでの仕事は1日16時間労働なんて当たり前だったんですけど、楽しかったから苦ではなかったんですよ。それと、仕事の合間に少年サッカーのコーチなんかをやったりして、4級コーチのライセンスを取ったりもしました。雀荘での仕事も、サッカーのコーチも、遊びも、すべてにおいて全力で臨んでました。そういう意味でいろんなことを学んだ、私にとっての青春時代でした。
――その後ヘリコプターのパイロットになったそうですが
はい。雀荘での生活は楽しかったんですけど、明確な目標みたいなものはなかった。そんな状況を見かねて心配したのか高校の担任の先生が「お前は、車やバイクが好きだったよな。車の修理工とか、そういうメカニックの道に進むのなんてどうだろうか」とアドバイスしてくれたんです。
ちょうど、このままで良いのかと自分でも思っていた時期でした。そして、いろいろと目標をさがす中で、23、4の頃から、ヘリコプターのパイロットになりたいなって思うようになりました。そこで、25のとき雀荘をやめ、アメリカに渡ってヘリコプターの免許を取りました。帰国してから日本のヘリコプターの免許もとって、念願のヘリコプターのパイロットになったのです。
――ヘリコプター免許を取った後は、どんなお仕事を?
ヘリコプターも持っている派遣会社が名古屋にあって、そこに就職しました。ヘリコプターのパイロットといっても、毎日ヘリを操縦する訳じゃないんですよ。土日を中心にヘリの出動があるんですけど、基本は派遣会社なのでそれ以外は派遣業務の管理をやっていました。
中京地区には工場が多いですから、その会社は派遣工の人材紹介を主に請け負っていました。最初は、派遣業務の管理も単に仕事の一部としてこなしていたのですが、だんだんその仕事のほうが面白くなってきたんですね。仕事を探している人と、人材を求めてる会社をマッチングすることに、強い興味を持ち始めるようになりました。そして、自分の派遣会社を設立したいと思うようになったのです。ヘリコプターのパイロットを極めるよりも、そんなパイロットや派遣社員を抱える会社のオーナーになりたくなったんですね。適材適所に人を派遣する、そんな人材ビジネスに魅力を感じ、2年目でその会社を退職しました。
――現在の会社を設立されるまでの経緯は
名古屋の派遣会社を退職後、今度は大手の人材派遣会社のシステムや業務内容、ノウハウを知りたかったので、スタッフサービスに就職しました。営業職は初めてだったのですが、目標があったので仕事も充実感がありました。そして、営業成績も伸びてゆき、自信もついていったんです。そろそろ、独立への目標に向けて現実的に取り組まなきゃいけないと思いました。でも、独立するにはなにか大手と差別化できるような特色がなければいけない。そんなことを考えていた時期に、たまたま接骨院に勤めている高校からの友だちとあう機会があって、彼の勤めている業界には人材派遣会社がないということを知ったのです。これは、いけるのではないかと思って30歳のときに独立し、業界初の人材派遣会社、株式会社ファーストサービスを設立しました。
私は、治療家応援団長です
――治療家業界の派遣会社をやっていく上で大変だったことがあれば教えてください。
その当時、柔道整復師や鍼灸師の人たちが職場をさがす場合は、「医道の日本」という業界誌に載っている求人広告か、口コミだけでした。治療家たちの人材派遣をやるといっても、私自身は治療資格を持っている訳ではないので苦労の連続でした。
最初は専門用語の壁にぶつかって、AKA療法って何?、PNFって何?、カイロ、アジャストって何?っていう感じで言葉と格闘の日々。でも、様々な先生とあってお話を伺い、少しづつですが治療家業界のことが理解できるようになってきました。
お会いする先生はどの方も個性が強く面白かったのですが、根底にあるものは「怪我や痛みで困っているひとを治療したい」という熱い思いでした。朱に交われば赤くなるってやつなのでしょうか、そんな熱い思いに毎日ふれている間に、最初はビジネスではじめたことなのに、自分も「もっと、この人たちの力になりたい」と強く感じるようになったのです。
――「この人たちの力になりたい」という思いを具体的に、どんな活動に結びつけていったのですか?
治療家たちの力になりたい。それには、なにをすべきか悩む日々が続いていたのですが、いろんな先生と交流を深めていくなかで、治療家同士の横のつながりが希薄だということに気付きました。
有名な先生同士の情報交換などはどうなっているのだろうかと思って、ある先生に「○○先生を知っていますか?」と尋ねると「知っているけど、あったことはない」という答えが返ってくることがしばしばありました。業界にまとまりがない。これはとってももったいないことです。柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師がそれぞれバラバラで、医療業界全体の10%程度のパイを取り合いをしている状況だったんです。これらの資格は国家資格ですが、国家資格というものに胡座をかいていてはいけない。医師や看護師などと比べて、その立場は万全であるとはいえません。国から、それらの資格はいらないと言われてしまえば、それで終わりなのです。なので資格や派閥を超えた組織づくりをしたかった。
そこから私の治療家応援団長としての活動がはじまりました。まず、私がハブ的な存在になって、先生同士の交流を深められないかと思ったんです。そこで「田尻会」という飲み会を開いて治療家の先生同士の交流を深めることにしました。これは4年間くらい続いたのですが、最初は3人くらいだった会が、回を重ねることに人数が増えていき、最終的には60人くらいの会になりました。それが治療家甲子園の活動につながったのです。
共に学び、共に成長し、共に変わる
――治療家甲子園とはどんな活動なのですか?

なんとか、こうした熱い思いの人たちを一つにまとめることはできないか、そう思っていたときに居酒屋甲子園について知りました。居酒屋甲子園とは、居酒屋で働いている若者が店舗ごとにチームになって青年の主張みたいなことをするイベント。これの治療家バージョンを作れないかとおもってはじめた活動が治療家甲子園です。
「共に学び、共に成長し、共に変わる」をテーマに、治療業界の活性化のために開かれるこのイベントは、第1回は虎ノ門ニッショーホールで全国321店舗の治療院から、第2回は日比谷公会堂で全国408店舗の治療院のチームが集結しました。
「人の怪我や痛みを治したい。その人の笑顔を取り戻したい。」という原点に振り返り、私たちは何のために治療家をやっているのかを学び直すイベントです。ここでの交流や団結を通して成長し、伝統技術というものにとらわれず以前よりも志の高い治療家に変わっていくことが、このイベントの目的です。


微力ではあるが、無力ではない
――今後の田尻さんの活動は
治療家甲子園ですが、今後も続けていくつもりです。ただ、今年はお休みしようと思っています。東日本大震災があって、私たち治療家も被災者の方々に役立てることがあるのではないかと思って、すでに活動しているんです。私も被災地を2度訪ねているのですが、避難所生活で身体のあちこちに不調を抱えている人が沢山いらっしゃいました。こういう方々の手助けをすることが私たち治療家業界にとって何よりも重要な責務だと思います。医師や看護師とは違った側面から、また治療の優先順位とは関係なく被災者のケアをできるのが、治療家だと思います。命に別状はないし、薬も必要ではないけれども、関節が痛い、筋肉が凝っているなどの問題を抱えた中高年の方やお年寄りが沢山いるのです。
なので、今年はこうした被災者の方々へのボランディアを中心に活動しようと思っています。こうした活動に、治療家甲子園で育まれた横のつながりが意味をもってきました。治療家甲子園のテーマの一つに「私たちは微力ではあるが、無力ではない」という言葉があります。今回のような被災地の現場でも、この言葉を胸に私たちは活動しています。治療家甲子園の活動がなかったら、このような業界全体での被災地に対するケアは実現しなかったでしょう。再来年は、こうした経験を積んだ上でさらにパワーアップし治療家甲子園、治療業界全体を盛り上げていこうと思っています。

――今後の田尻さんの活動は
教育の現場にも、治療業界を知ってもらう必要があると思っています。先生達が、まったく治療業界のことをしらない。だから治療家を目指す生徒がいたとしても、そのためにはどんな道筋があるのか、どんな学校に行けば良いのかということを適切に進路指導できる先生がいないのです。柔道整復師と鍼灸師、カイロプラクティックに整体それぞれの区別が出来ないのに、進路を指導できる訳がありません。なので、この業界をしってもらえるような出版物だとか講演活動を積極的にやっていくつもりです。そして、ちょっと夢のような話なんですけれど、治療家たちが活躍する映画を制作し、少しでも多くの人に治療家という人たちの活動と、その魅力を知ってもらえたらいいなと思ったりもしています。
――最後に、治療家を志す人に田尻さんからのアドバイスをお願いします。
治療家の方は、もともとスポーツをやっていた方が多いのです。このサイトをご覧になられている方も、スポーツ選手や、スポーツをやっている学生さん、または、その親御さんでしょう。スポーツの世界と治療業界は密接に結びついています。プロのスポーツ選手になったり、大学のスポーツ推薦を受けることの出来ないような生徒にも、選手としてではなく、スポーツを支える業界があることを知ってほしい。そして、そこで活躍する人たちが、いかに熱い思いで仕事に取り組んでいるかを知ってほしいのです。今思えば、私もスポーツをやっていた頃、治療家の人にお世話になりました。私はサッカーとスノーボードで9カ所の骨折経験があるのですが、そのときの怪我の治療を支えてくれたのも治療家の先生でした。
また、スポーツのセカンドキャリアとして、治療業界が受け皿になれるということも広く知ってほしい。スポーツ業界を支えているのは選手だけではありません。多くの裏方によって支えられているのです。それはスポーツ選手の方なら実感していることだと思います。しかし、選手を引退後もスポーツの団体に残れる人は一握りです。なんとかしてスポーツとの関わりを持った仕事を第二の人生としたいと考えている方に、治療家という道があることを知ってほしいのです。そして、共に治療家業界を盛り上げていってほしい。そのために私は、皆さんを応援し続けます。
